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寺崎廣業数年後に明治維新を迎える1866年、寺崎広業は現在の秋田県秋田市に生まれました。絵画は16歳になってから本格的に学び始め、旧秋田藩の御用絵師を務めていた小室秀俊に入門して腕を磨きます。そして入門から3年後の1885年、旅に出た広業は各地を遊歴します。 1888年、23歳で上京して腰を落ち着けて画家・菅原白龍の門下に加わった広業でしたが、入門から4ヶ月後には早くも腰を上げ、旅に出ます。 旅のさなかに雑誌の挿絵を描いたり、古今東西の名画を模写したりして、徐々に名を高めていきました。1899年には岡倉天心と橋本雅邦が結成した日本美術院に参加し、さらに1901年には東京美術学校の教授に就任します。 こうして日本の文壇における重要な画家のひとりとなった広業ですが、旅情と冒険心に突き動かされるように、再び腰を上げることになりました。1904年、日露戦争の戦場に従軍画家として参加します。3ヶ月後に体調を崩して帰国するまで、戦争画を数多く手がける一方、花鳥画や美人画にも熱中しました。帰国後はようやく本当に腰を落ち着け、画壇の重鎮としての後半生を送ります。 1907年には第1回の文展に審査員として参加しつつ、大作を発表して話題を呼びました。 1913年には勤め先の東京美術学校で日本画の主任となり、さらに1917年には帝室技芸員に任命され、日本画家として最高の地位に就きます。 そんな広業は偉大な画家として尊敬されますが、1919年に54歳で世を去りました。目立った汚れなどはありませんが、軸裏含め経年による傷みシミなどはあるかとおもいますのでご理解のほど宜しくお願いいたしますm(_ _)mサイズ縦約172cm×幅約53cm※素人計測のため、多少の誤差はあるかとおもいます。
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寺崎廣業
数年後に明治維新を迎える1866年、寺崎広業は現在の秋田県秋田市に生まれました。
絵画は16歳になってから本格的に学び始め、旧秋田藩の御用絵師を務めていた小室秀俊に入門して腕を磨きます。そして入門から3年後の1885年、旅に出た広業は各地を遊歴します。 1888年、23歳で上京して腰を落ち着けて画家・菅原白龍の門下に加わった広業でしたが、入門から4ヶ月後には早くも腰を上げ、旅に出ます。 旅のさなかに雑誌の挿絵を描いたり、古今東西の名画を模写したりして、徐々に名を高めていきました。
1899年には岡倉天心と橋本雅邦が結成した日本美術院に参加し、さらに1901年には東京美術学校の教授に就任します。 こうして日本の文壇における重要な画家のひとりとなった広業ですが、旅情と冒険心に突き動かされるように、再び腰を上げることになりました。1904年、日露戦争の戦場に従軍画家として参加します。3ヶ月後に体調を崩して帰国するまで、戦争画を数多く手がける一方、花鳥画や美人画にも熱中しました。
帰国後はようやく本当に腰を落ち着け、画壇の重鎮としての後半生を送ります。 1907年には第1回の文展に審査員として参加しつつ、大作を発表して話題を呼びました。 1913年には勤め先の東京美術学校で日本画の主任となり、さらに1917年には帝室技芸員に任命され、日本画家として最高の地位に就きます。 そんな広業は偉大な画家として尊敬されますが、1919年に54歳で世を去りました。
目立った汚れなどはありませんが、軸裏含め経年による傷みシミなどはあるかとおもいますのでご理解のほど宜しくお願いいたしますm(_ _)m
サイズ
縦約172cm×幅約53cm
※素人計測のため、多少の誤差はあるかとおもいます。